おとなりクラブ ぼっちの私の40年ちょっと

母の告白

毒家族へ 自分のこと


私の解決したい大問題

このブログを書いた理由
それは、幼い私を救いたかったから

私は生きていて良いのか?
私は望まれて生まれてきたのか?

そんなことばかり
考え続ける日々を
卒業したかったから

母親に愛されなかった
ただそれだけのことが
どれほど多くのことに
影響を及ぼすのだろう

でも今、私自身が
「お母さんが好きですか?」
という質問をされたら
素直に「はい」と言えるのか?

自分は愛されたかったのに
相手のことは愛せないのか?

なんだかややこしくて
痛々しいこの問題を
解決する答えが欲しかった

物事には理由がある
というのが私の中の哲学的なもので
実際には
理由のないもの
も存在するのだろうとは思う

理由がないのだ
という答えが理由だと
たどり着いたら
それはそれで納得する

だけど
何かしらの理由があるはずだ
と思える間は
探究心が止められない

ましてや
自分自身の存在価値に
大きく関わっているとしたら

母に疑問を投げかける

私がこれまでしてきたことの
多くのことに
育てられ方というか
母親の存在が影響してきたと思う

自分が大人になるにつれ
「どうして母はあんな態度だったのか?」
と疑問が大きくなっていった

子どもを持つようになり
本当に好きな人と
一緒に暮らすようになって
その気持ち(疑問)は
無視できない状態になった

それまでも
高校生の頃の私は
「母親らしくできないでしょ?」
だとか
「私をなんだと思ってるん?」
とかの言葉で
母に間違いを指摘してきた

つもりだった

ただ、それらの言葉は
母にとっては
「おと(私)は昔から癇癪もちで
私に対してイヤなことをいう子なのよ」
としか思われてなかった

そして、その出来事を
母が兄に愚痴ると
待ってました!と言わんばかりに
「そうだよね
お母さんはなーんにも悪くないのに
イヤな娘だよね
俺は味方だよー」
と洗脳していく悪循環

母は
「やっぱり私は悪くないのに
おと(私)ちゃんは意地悪な子よね」
と本気で思っていた

しかも
「そんなおと(私)ちゃんでも
娘だから連絡とってあげてる私
なんて優しいのかしら」
くらいに思ってたんだと想像できる

質問の内容を変えてみた

大人になり
察してもらえず
悪循環でしかないと
気がついた私は
ストレートに質問するようになった

はっきり質問して
嫌われても私は平気だと
そう思えるくらいには
自立した大人になった

「私をいじめていた事実を覚えている?」

とまっすぐ聞いてみると

私(母)なりに一生懸命
子育てを頑張ってきた
自分にできる
精一杯だった

という
なんの回答にもならない言葉を
繰り返しては
不機嫌になる

ああこの人は
不機嫌さで
私をコントロールすることが
まだ出来ると思っているんだな

と残念な気持ちになる

そしてまた、
そのやりとりを
兄に愚痴るのだ

さらに兄は
意気揚々と母に
耳障りの良い言葉を聞かせ
自分がいかに
良い息子なのかを
アピールする
(ついでにブログに書く)

兄のブログをみると
そう言った流れが
手に取るようにわかり
気持ち悪さを感じ
何度か
縁を切ろうと
連絡を絶ったりした

でも、答えにたどり着かないと
未解決のまま
母が死んでしまっては
この問題は迷宮入りになってしまう

定期的に洗脳を解いていく

母と話すときに
私の覚えている昔のことを
丁寧に話して聞かせる

すると
よく覚えていない
と最初は言っていた母が
そういえばそうだったかも
と記憶の引き出しを
少し開け始める

私の言っていることが
でっち上げではないと
信用してもらいつつ

母が私に放った言葉
兄が私にした暴力
それを見て見ぬ振りした事実

などを少しずつ小出しにして
思い出してもらう

すると
母は兄が自分に嘘をつく人間だ
いうことを思い出し始めた

それを繰り返していくと
だんだんと
母が兄と一緒になって
私をいじめていたことを
思い出してくれた

ひどいことをしたと
謝ってくれたが
私が欲しいのは
謝罪ではなく
どうしてそうなったか
という理由

責めているわけではない

母は私を虐待していたことは
認めて謝罪してくれたが
それ以上のことを
話すことを嫌がりだした

どうしてそんなことをしたの?

というシンプルな質問に

「なんてひどい母親だ」
「謝れ!謝れ!謝罪しろ!!」
というようなニュアンスを
勝手に感じている様子だった

責めているんじゃなくて
理由が知りたいんだよね

と何度も言ったけど
「もう謝ってるじゃない」
「どうして欲しいのよ!」
という方向違いの返答と
さめざめと泣き始めるという
防御の姿勢に入り
なかなか前に進めない日々が続いた

思い出して欲しいんだよね

詫びて欲しいのではなく
当時の事実を
思い出して欲しいんだよね

私に原因があったのなら
それも知りたいし
別に理由があるなら
それも知りたい

そう訴え続けて
2年くらい経った

相変わらず
定期的に
「どうしてそうなっちゃったの?」
と質問する私に
うんざりした顔をする母

ある日
なんでもないやり取りの中
母の発言に娘について
ちょっとしたニュアンスを感じた

母としては
なんの気なく
「これはまだ難しくて
諦めちゃったのよ」
と言ったのを

私は自分の子どもの時を
フラッシュバックし
「難しいことから逃げる残念な子」
と嘲笑われたように感じてしまった

そう言ったことが
度々起きる

でも止めようがない

そしてそこから
娘を庇おうとした私と
そんなつもりじゃなかった母との
言い合いになり

私の中にある
不安定な部分を
手放すためにも
「どうして私をいじめたのか」
「どうして私が可愛くなかったのか」
思い出して欲しい

ということが伝わった

やっと思い出した母

それからしばらくして
母からLINEがきた

その内容は
想像していたより
ひどいものだった

『あれからずっと
どうして子どもを可愛いと
思わなかったのか
考え続けて
思い出したんだけど

おと(私)と兄と
その従姉妹(ほとんど同じ年)の3人
5人分の布おむつを
毎日手洗いして
子守を一人でしていたのよ

(私が0歳年子の兄1歳
従姉妹 上から3歳1歳0歳
めちゃくちゃ大変)

そんなときに
従姉妹の母親は
着飾ってスナックを経営し
従姉妹の父親は
母が兄を叱っているのを見て
姑たちに悪し様に告げ口をされたの

みんなに責められても
旦那(父)は庇ってくれないで
スナックの店員をしてた

しかもスナックの従業員と
不倫してたのよ

子どもの世話や
みんなの朝食の準備
姑の入院の世話とか
全部頑張ったんだけど

義姉である旦那の姉たちには
嫌味を言われたり
あんたが嫁に来て
家の中がぐちゃぐちゃになった
って言われたのよ

それを旦那に話したら
他人だから仕方ないわ
と言い放たれたんよ』

なんと言うか
私の感想は

やっぱりね
だった

あの父親に惚れ込んでる
とかどうかしてる
と思ってたら

子育て中に不倫されて
再構築したけど
不安からの依存が強くなって
私のことも女として
ライバル視してたんだね

その時点で
母性が無くなって
子育て嫌になって
子どもが可愛いとかより
煩わしい気持ちの方が
強くなっちゃったんだね

なるほど納得!

すっきりと憑き物が落ちた私

それから
母とLINEでやり取りをした
このブログに暴露しているような
本当は父親が嫌いだったことや

責めてるんじゃなくて
答えを求めてたんだと
言うことを伝えた

母自身の洗脳も
溶け始めたようだった

暴力的で自己中で
平気で嘘をつく
兄と同じ人種の父親

こう言っちゃなんだけど
早くあの世にいってくれて
本当に良かった

母が私を虐待したのは
私のせいじゃなかった

という事実がわかって
めちゃくちゃ楽になった

子どもの頃から言われた
「悪いもの」は私の中にないし

「お前のせいで」と
兄に何度もかけられた呪いも
ただの戯言になった

父親を盲信していた母が
自分を正当化するために
記憶の底に埋め込んだ
思い出してはいけない出来事
を掘り出すことに成功した

自分の選んだ男がクズだと
認めてしまったら
自分の人生を否定するようで
辛かったんだろうと思う

それでも頑張って
思い出して話してくれた母に
とても感謝している

それにしても
「なんで私は親から大事に
されないんだろう」
と疑問に感じてから
答えにたどり着くまで
実に40年くらいかかった

(ちなみに父親は
自己中なクズなので
子どもを大事になどは出来ない)

やっと自分として
のびのびと生きていける
そんな気持ちで
嬉しずぎて
LINEをもらった夜は
家族で焼肉に出かけた(笑)

まとめ

産んだ時から
子どもを憎んでいる
そういった母親が
ゼロではないかもしれない

だけど
生まれてきた子どもも
ひとりの人間で
いつか成長して
自分ってなんだろう
って考える日もくる

母親だから正しい
というフィルターを
いつかは取って
自分の基準で
母親を見る日が来る

そのときに
母親は自分のしてきたことを
自分で受け止めることになる

子どもに捨てられる人も
いるだろうし

私のように
本当のことを言うまで
逃してもらえない人も
いるかもしれない

私が最初に疑問に思ったのは
母自身は暴力的でもなく
いろんな物事に
興味を持てる人で
保育士をするくらい
子どもが好きな人だった

なのに
母親をするのは
とても辛そう(嫌そう?)
だったのはどうしてだろう
ってことだった

そんな母に
嫌われている私は
いったい何をしたんだろう?
と思ったし

本当に私のせいなのかな?
とも思った

本当に長い戦いだった

でもこれだけは伝えたい
子どもに親は選べません
自分が子どもの時を思い出しましょう