おとなりクラブ ぼっちの私の40年ちょっと

迷子になるのは子どもが悪いと言う毒親 毒家族との地獄のお出かけ

毒家族へ


母との思い出

母に最後に撫でられたのは
就学前だった。
 
小学生の時に一度だけ
撫でられたけれど
それは私を殴った後に
申し訳なさなのか
しまったと思ったのか
とにかく可愛くて撫でた
とかではない。
 
もう40年以上前
母の実家で撫でられたのが
最後の記憶。
 
3歳くらいの時
母の友達と出掛けたことがある。
まだ二十代の女子会で
隣にいる人と手を繋ぐと
「可愛いー」と
黄色い声を上げてくれた。
それを見て母も笑っていて
楽しい気持ちで過ごした。
 

何も教えてくない母

茶碗蒸しを知らなかった私が
「ちゃわんむしってどんな虫?」
と聞くと
母は「食べたことあるでしょ!」
と慌てて私に言っていた。
 
それは答えではないので
私はどうして母が
教えてくれないのか
分からなかったけど
みんなが笑ってたので
まぁ良いやと思った。
 
でもその後
母に恥をかかせたらしい
そのエピソードは
何度となく繰り返し
人前で言われた。
 
ちなみに
茶碗蒸しって
虫じゃなくて
食べ物だよ
ということは
最後まで教えてくれなかった。
 
私は自分の子の質問には
わかるまで丁寧に
説明するように
心掛けている。
 
知りたいことを
知っているのに
教えてもらえない
というのは
人格を無視しているのと
同じ意味を持つと思う。
 
現在
私に何も教えてくれなかった母は
私に色んなことを
よく質問しては
「(私)の説明は
本当に分かりやすよねー」
と言っている。
 

フロージって何?

幼稚園の頃。
髪の毛を伸ばしたかった。
母は私の髪を切りたがったが
それを嫌がる私に
「フロージみたい」
と母は苦笑いしながら言った。
 
「フロージって何?」
 
と聞いたが
母は答えず
「勝手にすれば」
と言って向こうへ行ってしまった。
 
数年して
辞書が使えるようになり
浮浪者の子どもバージョンを
浮浪児
と言うのだと知った。
 
母は私を
浮浪児みたい
と言ったのか。
 
でもその頃には
母はほとんど
私に構わなかったし
その言葉を知っても
すでに
自分が悪いの呪い
かかっている私は
髪を切らせなかった
自分を責めた。
 
今こうやって思い出すと
可哀想な子だな
って泣ける。
もしも私の娘に
そんなことを言う人がいたら
軽蔑するし
怒りを感じるだろう。
 

子どもから目を離す親

小さい頃にいろんな所へ
連れて行ってもらった。
両親が行きたい所へ
連れて行かれている
という感じだったけど。
 
どこに行ったかは
ほとんど覚えていない。
ある時に行った
ただ観光地なのか
お祭りなのか
人混みの中で
一瞬にして
私は迷子になってしまった。
 
よそ見をして
前を見た瞬間には
もう居なかった。
 
迷子センターに
連れて行ってもらい
そこの人に親切にしてもらっていると
両親が迎えに来た。
 
私を探していたわけではなく
放送を聞いて
やって来たようだった。
係の人に「お世話になりました」
と言ってそこを離れると
「どうしてちゃんとついて来ないのか」
と私を責めた。
 
両親にとっては
迷子にならないように
人混みの中をついて来なかった
私が悪いのだ。
 
手を繋いでくれるわけでもなく
夫婦でデートしているかのように
あちこちフラフラと
進んでいく二人に
小さな私が自主的について来ないことで
迷子になって
他人に迷惑をかけたのだと
本当に思っている人たち。
 
小さい私は
周りを見て楽しむことをせず
両親の背中だけを
必死で追いかけることにした。
 

夫婦のデート

家族のお出かけは
基本的にそうだった。
両親が行きたい場所に
両親が行きたいタイミングで行く。
そんな時に私は
連れて行ってもらってるんだから
他人に迷惑をかけないように
楽しそうにしなければならない。
 
兄は両親にくっついて行動し
楽しそうにしていた。
何かを見て
盛り上がっているのに
気が付いて
ワンテンポ遅い私が
話に入ろうとすると
「もう終わり。次に行くぞ。」と
言われ待ってくれることはなかった。
 
車酔いをする私に苛立ち
しゃんしゃん歩けと怒鳴り
何をするにも
早く選べと急かされ
食事が来れば
早く残さず食べろと言われる。
その状況で
楽しそうに出来ない私に気がつくと
眉間にシワを寄せた。
 
一生懸命思い出してみても
もう一度行きたい場所などない。
どこに行ったって
迷子にならないように
両親の機嫌が悪くならないように
ただ過ごしていただけだった。
 
 

毒親の連鎖

最近、息子が昔のことを
思い出しては
「どこどこに行って
こんなことあったよね。
また行きたいよね。」
と話すのを聞いて
ちゃんと楽しかったんだなと
ホッとする。
 
毒親は遺伝する
と言われるように
してもらってないことを
自分がするのは難しい。
 
毒家族にいじめられながら
育ってきた私が
自分の家族に
どうやって接したら良いのか
手探りでしかなかった。
 
自分がされたように
自分の可愛い子どもに
するなんて
とてもじゃないけど
出来ない。
 
だから経験のないことを
自分ならどうしてもらいたかったか
考えながら
調べながら
確かめながらやってきた。
 

子育ての答え合わせ

子育ての答え合わせは
10年以上かかると感じる。
私自身が
自分の子供時代を
振り返ることが
出来るようになるのに
20年くらいかかっている。
 
子どもが大人になってみないと
実際のところ
どうだったのかを
本人から聞くことが出来ない。
 
親側から尋ねると
気を遣って
本当のところが聞けないし
子どもも自分の気持ちが
分からないと思う。
 
答え合わせと
言ったけど
正解や不正解が
あるわけではないと思う。
ただ、
まだ言葉を持たない
子どもがどう感じていたのか
親として知っておきたいと
私は思う。
 
反省すべき点が見つかれば
これから反省するために
傷つけていることが
あるのだとしたら
ちゃんと謝罪して
その傷を少しでも癒してから
死にたい。
 
毒親の連鎖が
ちゃんと立ち切れたか
確認したい。
 

家に帰っても居場所のない子どもの頃の私の話はこちら
毒家族の中で居場所を作るために家事をする小学生の私を嫌う毒兄の存在