宗教2世はめちゃくちゃキツイ 新興宗教で働く父と幸せそうじゃない信者
毒家族の中で育った話を
書くと決めたものの
どこから話そうか迷ってしまう。
このブログを書くことにした話はこちら
毒家族の中で育った私を助けることにした
私の育った環境で新興宗教は
切っても切れないと言える。
つまり私は宗教2世というやつ。
厳密にいうと宗教3世になるみたい。
この辺から話し始めようかと思う。
父の仕事は宗教家
私の親は新興宗教と言われるものの信者だった。
信者「だった」と言うか
今でも母は教会に通っているらしいので
今も信者。
ただの信者ならまだしも
父はその宗教の本部に勤めていた。
信徒組織課長
それが父の最後の肩書だった。
度々出張に行っては
全国にある教会へ出向いていたらしい。
その宗教では学校の春休みと夏休みの時期に合わせて
「特別訓練」と呼ばれる合宿に
信者の子どもたちを集めていた。
その指導者つまり先生が父だった。
小学校4年生から中学校3年生までの子どもたちを募集する。
ほとんどが親に言われて参加したと思われる子ども達。
まぁ日常的に宗教は素晴らしいものだと教え込まれていて
せっかくの機会なんだから
参加しなさい
と言われれば従うのが
普通の反応だと思う。
高校生たちが
指導サポーターのようなことをする。
3泊4日間。
先生としての父
その合宿に参加すると
先生の娘として
知らない人にも存在を認識されていた。
二世タレントのような感覚かも知れない。
「奉仕」と言われる
ボランティア活動をすることで
徳が積めると言う教えもあり
その合宿には
食事の準備をしてくれる
信者のおばさん達が沢山出入りしていた。
おばさん達は私を見ると
「(父)さんの娘さんやね!しっかりせんといけんよ!!」
と口々に謎のプレッシャーをかけてきた。
父にお世話になっている
みたいなことも言っていた。
それを聞いて私は
父はここでは偉いんだろうな
くらいに思っていた。
小4の私を迎えてくれた高校生たちも
「(父)さんの娘さんね!」
と言って親切にしてくれたように思う。
合宿の期間中父は
意識してか殊更私に厳しくした。
私とはほとんど目を合わせず
一切会話もしないが
よそ見をすれば名前は呼ばず
「そこの!ちゃんとしろ!」
と大きな声で怒鳴りつけた。
体が小さ
かった私は
昼ご飯に出された
脂っこいトンカツの切れ端が
どうしても食べられず
一人残されていた。
私が半泣きになっているのを
通りかがりに見つけた父は
見かねて「自分に任せたらいい」
と言ってくれたおばさんを押し退け
「今すぐ飲み込め(殴るぞ)」と凄んできた。
いつも殴られていた私は
人前でも殴られると震え上がり
恐怖の中涙を流しながら
口に油の塊を押し込み
そのまま飲み込んだ。
しばらく吐き気が止まらなかった。
みんなの視線が辛かった。
宗教の教え
その宗教では
神は絶対的な愛で私たちを愛してくれている
人と争わず先祖を敬って
人に奉仕の心で接しなさい
というようなことを教えとしていたと思う。
体の不調は「浄化」と呼び
いわゆるデトックスという扱いで
医療で治すのではなく祈ることを優先する。
心の不調は「想念の悪化」
というようなことを言い
悪いことを思うのは
想念状態が悪いと表現した。
手かざしで体も心も「洗霊」して
心身ともに良い状態にする。
死後の世界は「想念世界」で
神に選ばれた人は
早くに肉体から離れるようなことも
言っていたような気がする。
苦しそうな信者の人たち
毎朝毎夕自宅の祭壇の前に
正座して祝詞をあげ
手かざしを受けるのが信者としてやる「お参り」だった。
我が家では朝は
ほとんど行ってなかったように思う。
しかし夕方は父が帰宅し
父の気が向いた時には
強制的に祭壇のある部屋に集められ
お参りが行われた。
ちょうど見たいテレビがあったりする時間で
祈りたいことも特になかった私は
ただただ嫌で仕方がなかった。
手かざしを受けるポーズは土下座で
子どもの体にはしんどかった。
断る選択肢など
与えられるはずもないのだけど。
月に一度は教会でお参りの儀式がある。
その教会に属している人たちが集まり
供物を捧げたり
「体験発表」と言われる信者の話を聞く。
それとは別に毎月3日に
宗教本部のメイン祭壇で
それぞれのエリアの人達が集まって
同じように儀式が行われた。
さらに年に一度
「聖地」と呼ばれる教祖の墓に集まる
全国の信者が集まる大きな儀式もあった。
それぞれの儀式で
何かの役目をもらった人は有難いと喜び
それを誇らしげにしている。
私はそのコミュニティーの異質な雰囲気に
いつまでも馴染めないでいた。
いや、どんなコミュニティーにも
馴染めたことなどないのだけど。
母は教会の中で張り切って活動していた。
夫(父)が本部にいることで
教祖の娘やその時の団体のリーダー(会社で言えば社長)とも
気さくに話せる仲でもあった。
儀式の後の片付けなどもてきぱきとやっていた。
そんな母の近くで黙って手伝っていると
手と一緒に口を動かす
信者同士の会話が聞こえてくる。
あの人はこんなこと言うのよ
えー嫌なこと言うね。無視した方がいいよ
こんなとこにコレ置いてまったく!
そんなこともわかってないのねー
大体はこんな感じ。
小学生と変わらないし
建設的じゃないただの悪口。
さっきまで広い心で神の愛に感謝して
穏やかに暮らしましょう
とかのお説教を有難がっていた人たち。
体験発表では
一家心中をしようと
最後に家族で外食をしたら
息子が
「こんなに美味しいものを食べられたから、
僕これからずっとわがまま言わないで頑張るね!」
とニコニコ話すのを見て思いとどまった話。
嫌なことを言う親に対して
恨み言を思ったり
いなくなれば良いと
思ってしまった自分の恐ろしい想念状態が
祈り続けることで変わっていった話など
何もかも神様のおかげなのか。
私はわからないけど
みんなせっせと祈ってるのに苦しそう。
神様の教えは届いていないんだな。
なりたくない大人
宗教が素晴らしいと言う父。
神様は有難いと言う母。
酔っ払っては
自分の考えと違う意見を持つ同僚を
許せないといって大声をあげる父。
父がもらう宗教団体からの給料が少なかったのか
マイホームローンを
早く完済したかったのか
せっせと働いては
帰宅後家事もせず寝込むか
友達と職場の悪口の電話で
1時間以上盛り上がる母。
いや、そのそも母は
専業で子育てするくらいなら
勤めに出たいと
泣いて父に頼んだと言っていた。
大人になった今思い返してみると
1ミリも羨ましくないし幸せそうでもない二人。
楽しそうなのは
私や兄が子ども部屋に行った後
二人きりになって
昔の歌を歌ったりして
キャッキャしてた時くらい。
あー
あとは、私のことを馬鹿にして
笑っているときは
本当に嬉しそうな顔をしていた。
この人たちみたいになりたいなとか
ずっと一緒にいたいなとは
まったく思えない人たちだった。
神様の教えが届いていないのか
宗教が役立たずなのか
その両方なのか。
あの頃の両親に聞いてみたい。
何が楽しくて宗教をしていたのか。
二人でいる時だけ楽しいのなら
なぜ子どもなんか産んだのか。
お父さんのお仕事
今よりも個人情報保護とか
全然うるさくない時代。
大人たちは無遠慮に
善悪もわからず
答えてしまう子どもに向かって
「お父さんのお仕事は?」と質問した。
学校の先生も近所の人も
人んちのことを覗きたい欲望に正直だった。
もちろん幼い私は
ちゃんと答えようとするのだけど
父の職業が説明しづらかった。
なんか宗教の事務所で働いてます
そう答えていたと思う。
大人たちは怪訝な顔をして
「どこの?」と聞いてくるのだけど
言ったところで
知るはずもない新興宗教。
それでも大人の質問に
一生懸命答えようと
私は知っていることを全部話した。
思ったような回答が得られなかった大人は
まぁ仕方ないといった表情で
「そうなんだ。ありがとう。」
と話を終わらせた。
ありがとうと言われて
私はやり切った気持ちになっていたけれど
多分話にならないと思われていたんだと思う。
宅地化されたばかりの土地に家を建てた若い家族
どんな人達が住んでるのか知りたかったんだろう。
大人はいつも居ないし
週末の草取りにもほとんど参加しない。
子どもは放置気味だし
地域との交流もない。
さらに聞いてみれば
宗教で働いているとか聞いたら
あんまり関わらないでおこう
そう判断されていてもおかしくないと思う。
なんとなく浮いてるような感じは
その土地を離れる17歳まで続いた。