おとなりクラブ ぼっちの私の40年ちょっと

毒家族の中で育った私を助けることにした 被害者だと気が付かなかった私

毒家族へ

「その人」のために始めたブログ

気が付いたら人生の折り返し
と言われる年齢になっていた。
40代も後半で、
自他共に間違いようのない
「大人」と言われる年齢の自分。

子どもたちも成人しようかという今になっても
自分の中の幼さというか
いわゆるインナーチャイルドとか言われるやつなのか

普段は敢えて目を合わせないようにしている
「その人」が辛い辛いと訴え続ける
 
こうやってブログを書こうと思うのも
どうしても「その人」が
辛い理由を無かったことにしないで欲しい
と悲痛な叫びをあげるからだ。&nbsp
 

今の私の暮らし

今の生活は色々あっても
穏やかで楽しい幸せなものだと言える。

都内に広くはないけれど持ち家があり
働き者の優しい夫と可愛い子どもたちと
その日あった出来事を伝え合いながら
食卓を囲む日々。悪くない。
 
再婚同士の夫との間に生まれた下の子に
手を焼きながらも
可愛さを噛み締める余裕もある。
 
20代で産んだ二人の子どもは
すでにどちらも社会人で

一人は家を出て月に2回ほど遊びに来るし

一人は同居していて生活費として
給料からもらってる金額からすると
少なくない金額を渡してくれる。
 
ちなみに渡されたお金は
本人名義で投資信託や保険にまわしている。
本人に一度話したけど多分理解してないので
無駄遣いしてると思われているかもしれない。

 



フラッシュバックというもの?

自分で言うのもなんだけど
私は基本的に明るい性格だと思う。
 
出来れば周りの人を笑わせたいし
自分も笑っていたい。

揉め事はない方がいい。
 
ただ時々、
無性に許せない気持ちが抑えきれなくなる。

スイッチが入った

地雷を踏んだ

そんな表現が合うような
グワァっとした感情の波が押し寄せる。
 
それがいわゆるフラッシュバックと言うものなのか
専門的なことはわからないけど
昔の記憶にリンクした瞬間に
それが起きているように思う。
 

蘇る記憶の中の私

毒家族と私

そんな時に何を思い出しているのかと言うと
大まかに言えば「子どもの頃の記憶」になる。
 
まだ判断力も経験値もない
無力な子どもの私が
両親や兄から嘲笑や蔑みを受けている場面。
 
時には殴られ蹴飛ばされ
睨まれ自分の物や金を奪われていた。
 
つまりいじめられていたのだ。
 

可哀想

惨めな経験というものは
人には話しにくいものだと思う。
 
いじめにあった子どもや
痴漢にあった被害者が
その事実を人に話せない心理はよくわかる。
 
認めたくないのだ。
無かったことにしたいのだ。
 
私は数年前から
過去の忌まわしい出来事を思い出す度に
夫に話すようになった。
 
その理由は
私が全信頼を寄せている夫が
それを聞いてどう思うか聞きたいのと

私が無意味に苛立っているという誤解を
夫に与えたくないから。
 
優しい夫は私が苛立つと思うと
原因が自分にあると思い
自分を責めてしまうし

私をなだめようととても気を遣ってしまう。
 
そして話を聞いた夫の反応はいつも
可哀想だったね
というものだった。
 

被害者という自覚

例えばカバンを奪われないように守ったが
相手に殴られ
結局奪われてしまったという場面
 
奪った相手は捨て台詞で
「大人しく渡さないからだ」
などと言うことがよくある。
 
物語だけでなく
現実でも同じなのだ。
 
私を殴り暴言を吐いたあとに
「お前が生意気だからだ」
と決まり文句を言う。
 
大人がそれも信頼している父親や母親が
そう言うのだから
子どもの私は
「そうか 私が悪かったのか」と思う。
 
そうやって何年も何十年も過ごしてきた。
 
だから自分が悪くて殴られた話を
好きな人(夫)にするのも
抵抗はあるのだけど

それとは別に大人になるにつれて
「本当に私が悪かったのか?」
と疑問を持つ気持ちもあった。
 

だからその答え合わせをしたかった。

 

初めて夫にその話をした時に
可哀想だったね
と言われて私は思わず
「やっぱりそうだよね?」
と答えてしまった。

 
私はやっぱり被害者だったんだ。

 

これからのこのブログについて

そうして数年に渡って
夫に聞いてもらうことが
カウンセリングのような効果を
出しているようで

ほぼゼロだった私の自己肯定感が
少しだけ育ってきた。
 
それでも私の中の「その人」は
まだ辛そうなので
このブログに書き出すことで
抱え込んでいる想いを
手放していけたらと思う。
 

私と同じように
自分のせいだと
思い込まされている人や

心の中の「人」が泣き叫んでいる人に
読んでもらえたら
少しでも報われる気がしている。
 
過去の出来事を思い出しながら
書き連ねていこうと思う。

ただ思い出すという作業が
想像以上にしんどい。
 
理不尽な想いをしたことへの
悔しさとか悲しさが
溢れてくるので
それらを言語化しながら消
化出来るといいのだけど。

向き合わないように
目を逸らして
蓋をしてきたことでもあるので
ピントを合わせて見つめるのは正直怖い。
 
私の中の幼い私というか
インナーチャイルドというか
古傷というのか醜い塊というのか
とにかくそういったモノを
昇華したいという切望がある。
(ややこしいので「童心」と呼ぶ。)
 
なぜなら今でも私の行動や心は
予想を超えて
童心に振り回されていて
たいていの場合
その結果は私の望んだものではないから。
 
自分の人生を生きているようで
未だにあの人たちに
踏みにじられていると感じてしまう。
 
未来の私のためにも
今取り組んでみようと思う。
 

次のおはなしはこちら
https://otonari.club/2022/06/08/poisonous-family-01/